地元の歴史を調べてみよう!
- 2022.02.20
- 高齢者福祉
- sensin
皆様、こんにちは。久居ケアサービスセンター担当 山野です。
新型コロナウイルス感染がまん延し、再度厳しい状況が続いている日々ですが、予防を徹底しこの状況を
乗り切っていきましょう。
さて、中々どこへ行くにも躊躇してしまう日々の中で、以前にも紹介しました地元を知る機会を作ってみては
どうでしょうか。
歴史好きの私もどこへも行けず、今は大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を見るのを楽しみの一つにしています。
歴史の授業で習った人物が多く登場し、いよいよ頼朝公の挙兵で時代が動き、鎌倉幕府誕生に突き進む、これから
が見どころのひとつです。
そんな鎌倉時代、私の地元である旧久居市木造(こつくり)はどんな様子だったか紹介させて頂きます。
まずは現在の風景
田んぼの向こうに霞んで見えるのが住宅地になります。
真ん中にちょこんと木々が生えているのが今回紹介する城跡です。
木造城址跡です。
実は鎌倉~室町時代にかけて、この地は平家そして後に京都久我家の荘園となっていた地でもあり、
室町時代には、北畠家の分家がこの地に木造城を築城(1366年)、木造氏と名乗るようになりました。
以後16世紀後半までこの地を治めていました。‘木造’という地名は、今から約650年以上前から存在していた
ことになります。
時代は少し下るのですが、当時の絵図が残っております。
天正12年(1584年)の絵図。今の住宅地の範囲と比べるとかなり大きな城下です。
この絵図の中には、木造氏の家臣屋敷が多数あり、寺院・市場・鍛冶があったことも記されています。
図面に赤字で引接寺(いんじょうじ)の記載がありますが(実際の文字は小さくて見えにくいのですが)
現在も地元にあるお寺です。子供の頃には夏休みにラジオ体操をしに行っていたり、遊び場として活用
したこともあります。
お城と言えば、こんな感じをイメージされるのではないでしょか。
少し時代は異なりますが今回の大河ドラマでも、そういったシーンが出てくるかもしれませんが、当時は
天守や石垣がないことが多く木造城は平城形式で築かれ、その周辺に様々な建物が築かれていました。
城周辺には低湿地帯が広がり防御しやすい構造となっていました。
近くに伊勢街道もあり、当時は繁栄してのではないでしょうか。
みなさんも地元の歴史を調べてみると、新たな一面が見えてくるのではないでしょうか!
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