ヘルパーの車窓から Vol.12「生きる理由」
- 2021.11.21
- 高齢者福祉
- sensin
こんにちは。
ふたみ訪問介護ステーションです。
毎年恒例の新語・流行語大賞(2004年よりユーキャン新語・流行語大賞に改称)のノミネート語が、今年も発表されましたね!
世相を反映した言葉が選ばれているはずなのですが、中には「こんなの流行ったっけ…?」と首をかしげてしまうものもチラホラ…?天邪鬼な私です(笑)
※コロナ禍とオリンピックに関連したワードが多いような印象でしょうか。それでもイカゲームだけは本気で知りませんでした(笑)
今回紹介するのはこちら。
伊勢市出身で、太平洋戦争でフィリピンに出征し23歳の若さで戦死した詩人、竹内浩三。
今年が生誕100年にあたることで、それを記念した石碑が建立され、今月4日にお披露目されました。
表面に刻まれているのは、竹内の詩「鈍走記」の一文。母校である宇治山田高校と、市内の小俣中学校の生徒会で投票を募り、最も票を集めたものだそうです。
「生れてきたから、死ぬまで生きてやるのだ。ただそれだけだ。」
竹内が描いた犬の漫画も刻まれていました。
石碑は、母校である宇治山田中(現宇治山田高)の跡地である船江公園に建立されました。
同公園内には、前回の記事でも紹介しました映画監督、小津安二郎の記念碑もありました。
三重県立第四中学校(現宇治山田高)出身の小津は、竹内にとって同校の先輩にあたります。
小津が学生時代を過ごした寄宿舎跡。
今回、たまたま新聞の記事で見かけるまで、筆者は竹内浩三の名前を寡聞にして知りませんでした。
彼が残した詩は、学徒動員として大学を繰り上げ卒業し、入営した地で書かれたものだそうです。
「戦死やあわれ」「ぼくもいくさに征くのだけれど」など、若くして戦地に赴くことになった、実体験とも呼べるような日々が綴られています。
声高に反戦を叫ぶものでもなく、淡々とした言葉で描かれているのが、当時の戦場での若者の心情をリアルに感じられます。
無意味な戦争に身を投じなければならないジレンマの中に、いつか生きて帰ったら…という希望のようなものを仄かに感じさせるところに、彼の人柄が反映されているように思いました。
ひょうきんな性格で周囲の人を笑わせ、漫画をこよなく愛したという竹内は、先輩の小津安二郎に憧れ映画の道を志し、日本大学専門部映画科に入学したのだそうです。
もし彼が存命で映画監督としての道を歩むことができたなら、どんな作品を創ったか、日本の映画史にどんな歴史を刻んだだろうかと、思いを馳せてしまいます。
お読みいただきありがとうございました。次回もまた宜しくお願い致します。
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