2021年6月

地域の名所紹介

  • 2021.06.25
  • 高齢者福祉
  • Posted by | sensin

 

 

皆様、こんにちは。

美杉ホットテラスからのお便りです。

 

美杉ホットテラスがある下之川地区には観光スポットが多くありますが、今回は隣の多気(たげ)地区について以前から気になっていた事をアップさせて頂きます。

 

甲賀シルバーケア豊壽園がある土山は東海道五十三次の「土山宿」49番目の宿場町です。

旧東海道にこのような宿場町があるように、美杉町多気地区(たげちく)にも宿場町がありました。今でもその面影が残っております。

 

道路地図(最近はあまり見ませんが、)には、大阪から伊勢までのルートに「伊勢本街道」と表記されているのを見たことがあります。特に関心もなかったのですが、最近になってご利用者様の送迎で走っているとよく見かける「伊勢本街道」の幟や案内、気になり始めました。

 

 

 

 

文献によると「大和国と伊勢神宮を結ぶ伊勢本街道は、別名・参宮本街道、伊勢中街道とも呼ばれていました。南北朝以後、伊勢国司北畠氏が現在の津市美杉町の多気に館を構え、多くの武士団が居住し初期の城下町を形成したことや、伊勢参拝者が増えた事により多くの人々がこの街道を利用したと言われています。現在でも、旧宿場町に残された道標や常夜燈、古い町並みがかつての姿を今に伝えています。」とあります。

 

 

伊勢国司北畠氏が館を構えた多気にある「北畠神社」の近辺一帯は町屋の宿場町として栄えました。特に江戸時代から明治時代の末期にかけては、毎日30人~70人もの団体が行き交い大変な賑わいであった。町屋には20軒もの旅籠があったとも。

旅籠以外にも多くの屋号が残っている。

「角屋、万屋、結城屋、大峰屋、大和屋、とふ屋、米屋」等々、今でも実存している。

 

 

「伊勢本街道」沿いの民家にはご覧のような行灯が玄関あるいは軒先に置かれており、少し前までは月の1日と15日に明かりを灯していました。ご利用者様の同意の下、写真撮影をさせて頂きましたが、お名前の所に「叶、東屋、茶屋」等の屋号が記名されております。

 

また、この街道は古くより大和と伊勢を結ぶメーンルートであり、何世紀にもわたり多くの旅人を送り迎えた。

特に南北朝時代には多気は南伊勢の都であり、北畠氏の軍用道路としても重要な役割を果たしてきた。

 

等々、色んなことが分かりました。

 

 

美杉ホットテラスから「伊勢本街道の宿場町・多気宿」の紹介でした。