歴史を知る
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皆様、いかがお過ごしでしょうか。伊賀総合の【A・M】です。
今回は、NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」より私が住んでいる滋賀県の歴史上の人物をしたいと思います。
浅井久政、浅井長政の親子です。
まず子の浅井長政です。
北近江(現在の長浜市、米原市、彦根市等)の戦国大名。
十五歳で元服したとき、父・久政が南近江の六角義賢に臣従していたため、偏諱を受けて賢政と名乗った。
また六角家臣・平井定武の娘との婚姻も強いられたが、反発してすぐに離縁。六角家との対立姿勢を明確にする。
翌年、義賢との野良田の戦いに初陣した賢政は数に勝る敵を見事に撃ち破り、家臣からの信頼を得る。
同時に父・久政からクーデターで家督を奪い、六角家からの独立を果たす。
さらに尾張を統一したばかりの信長の妹・市を新たな妻に迎え、義賢と結んだ美濃の斎藤義龍を挟撃する同盟体制を整える。
同時に義賢の賢を捨て、信長の長を受けて長政と改名した。的確な判断で戦国大名の地盤を築いた長政だが、信長が朝倉義景を攻めると、
信長との同盟を破棄して義景に味方し、背後から信長を襲う。
辛くも逃れた信長の攻撃によって、三年後、長政は城を枕に自害することになる。
享年二十九歳であった。。※偏諱(へんい)=大名が功績あった臣に自分の一字を与える事。
次は親の久政です。
北近江の戦国大名。亮政の子で長政の父。一代で戦国大名となった父ほど武勇にすぐれていなかったため、南近江の六角義賢の侵攻を受け、半ばその支配下に入れられてしまう。
子の長政もまた勇猛であったため、武将としては評価の低かった久政だが、近年の研究でその外交と内政の手腕を高く評価されるようになった。
実際に、周囲を強大な大名に囲まれながらも形式上は独立を守り、長政に家督を奪われたあとも後見役を果たしたそのさまは、小領主の処世として見事だった。最後は長政とともに自害した。
今回は、「麒麟がくる」も放送されていることもあり、滋賀県の戦国武将を紹介してみました。
皆様も、外に出かけにくい今日この頃、歴史の知識を深めてみてはいかがでしょうか。
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