日本における「福祉の父」。「Sensin NAVI NO.154」
- 2019.06.15
- 法人
- sensin
皆様こんにちは、ブロガーことMるでございます。
今回お届けするSensin NAVIですが、「レッスンその154」となります。
今回のお題は・・・・
今回は!
児童福祉、障がい者福祉の基礎を築きあげたともいうべき、日本の福祉に関する偉人たちをご紹介します。
現代では、それぞれ〇〇福祉の父として称される方々で、当時きちんとした法制度が確立していない時代背景、社会情勢の中で、福祉に係る様々な諸問題に対し、自らの財産や地位に顧みず主体的に活動してきた彼らたち!
是非この機に覚えてもらいたい、そんな皆様を紹介します!!
「まさかウルトラの父とかじゃないでしょうね」
「念のため聞くけど・・・」
「いや案外キン肉マンの父はあり得ますよ、最近図鑑も購入したみたいですから」
「あるかい!!」
・・・というわけで、ここからは「本番」です。
まずは・・・
「この子らを世の光に」
この言葉を耳にしたことがある方も多いかと思いますが、
この名言を残したのが糸賀 一雄(いとが かずお)氏。
日本の社会福祉の実践家であり、知的障がいのある子どもたちの福祉と教育に尽力された方です。
日本の障がい者福祉を切り開いた第一人者として知られ、現在でも「障がい者福祉の父」あるいは「社会福祉の父」とも呼ばれています。
さかのぼること約65年前、1946年の戦後の混乱の中、彼は戦災孤児を収容するとともに、知的障がい児の教育を行う「近江学園」を創設し、その園長に就任します。その後、さまざまな施設を相次いで設立するわけですが、単に障がい者を隔離することをその目的とせず、あくまで社会との橋渡し機能を持つ役割を担うよう努めたそうです。
・・・次に紹介するのは、
明治時代に活躍した慈善事業家のひとり、石井十次(いしいじゅうじ)氏。
明治時代の岡山県にて、キリスト教精神をもとに生涯を「孤児救済に捧げた」、後世にて「児童福祉の父」として称される方です。
この方の功績で、かつ著名なものが、1887年(明治20年)に設立した「岡山孤児院設立」。
当時たくさんの孤児を抱えたいた社会の中で、彼はその孤児院に預けることに尽力し、最盛期にはなんと1200名の孤児預かっていたそう。ちなみにこの岡山孤児院は、日本最初の孤児院として知られています。
さらにはこの孤児院のほか、保育所や夜間学校、職業紹介所などを開くなど全国に活動範囲を広げていったわけでして、まさに「児童福祉の父」を体現していた偉人でありました。
最後にもうひとり!
石井 亮一(いしい りょういち)氏を紹介します。
明治時代から昭和時代初期にかけての心理学者であり、かつ教育学者、そして社会事業家でもありました。
日本における知的障がい者福祉及び教育の創始者であり、社会福祉法人滝乃川学園、公益財団法人日本知的障がい者福祉協会の創設者。
ほかの偉人同様、日本の「知的障害者教育・福祉の父」と呼ばれています。
ちなみに先述しました石井 十次氏とは血縁関係はありませんが、双方には少なからず接点はあったようです。古い文献や伝記の中には、岡山孤児院で活動していた石井十次氏に石井亮一氏が訪ねたといった記述が残っているようで、互いに孤児救済にあたっていたそう。
このように!
こうした偉人たちが活躍した時代。
当初は各々の想いと信念からはじまった様々な活動が、結果世間や世論を動かし、今の各福祉の基礎となる礎をこうして残してくれたわけです。
保育士や介護福祉士等の資格取得のための筆記試験、そしてテキストなどに必ずや登場する、そんな福祉に偉人たちの紹介でした。
それではまた。
「まさに日本の福祉の先駆者なわけね」
「そのとおり!」
「彼らの功績なくして日本の福祉はこうして語れなかったといっても過言ではないはず!!」
「まったくだ!」
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